2018年2月6日火曜日

青春仏滅DISCO 再掲 (中)

それではセカンド・シーズンの第1回から第10回までを。

第1回:恋したっていいじゃない/渡辺美里(1988)

青春の空を思う時、明るい朝焼けでも、美しい夕焼けでもなく、俺の場合、いつも曇り空だ。
まもなく雨が降りそうな泣き出しそうな曇り空。晴天でもどしゃ降りでもないどっちつかずの俺そのものだ。

そして今日もありえないぐらい見事な曇り空。こんな空の下、震えながらこのコラムを書いている。おっさんが目の前で吐き出した痰はそれはそれは綺麗な真緑でなんだかやるせなさがこみ上げてくる。

やるせなさを消すために思わず口ずさんだのは青春パンクではなくて、渡辺美里の「恋したっていいじゃない」だった。

渡辺美里は高校の時、仲の良かった友達がとにかく好きでライブに連れて行かれてやがて俺もファンになって一緒にファンクラブDO!に入会。今となってはこれいるの?というようなグッズが今も山のように押入れに眠っている。その友達は「俺は美里なら小便風呂に入れるぜ!」という名言を残したが、今思えばこんなにファンなんだという証と言うよりは変態の方が勝ってしまっている。

みさっちゃん(美里信者はこう呼びます)は当時の俺たちからしたら、まっすぐで正しい青春を歌ってくれる道標で、この人の歌を聴いていれば間違いのない淀みなき青春を歩んでいる気にさせてくれた。

そのほとんどが女の子目線のラブソングなのにそこに童貞が想いを重ねればおかしなことになるのは当然だ。十代の3310(みさと)体験のせいでいまだにこのザマだ。

彼女の代表曲の一つ「恋したっていいじゃない」は岡村靖幸がコーラスで参加のPOPなナンバー。やたらと連呼される「DATE」は良く意味がわかっていなかったけど、横文字ってなんかオシャレと思ってライブ中は共に叫んでいた。直訳は日付だが、歌詞の意味合いからしてデートするという風に捉えると「デートだ!わっしょい!デートだ!わっしょい!」と同様の連呼であると言える。

歌詞を読んでみる。「ロードショー泣き出したこともある」という冒頭。映画で泣いただけにも思えるのだがロードショーと歌う所にみさっちゃんらしさがある。そして特筆すべきはその次の歌詞。「交差点裸足で踊ったこともある」ときた。映画で泣くことと同列にするには破天荒過ぎる一面。中島美嘉や一青窈よりもずっと先に彼女は裸足だったのだ。しかも交差点で踊るのだから前衛的かつ衝撃的だ。

さらに読み進めていくと、ロードショーの他にハートブレイク、ダンスシューズ、ルーズ、スタイル、フライドチキン、テレフォンボックス、ムーンライト、シティーライト、ウィークエンド、ボーイフレンド、クエスチョンといった横文字の乱発に戸惑っている内に曲は終わってしまうのだが逆にそれが「恋したっていいじゃない」というシンプルな日本語タイトルだけを浮かび上がらせることに成功している。

「恋をしなきゃウソDA.YO.NE」と当時バリバリの童貞だった俺たちセンチメンタル・カンガルーは焚きつけられたものだ。

しかし当然ながら恋なんて簡単には出来なかった。そもそも男子校じゃねーか!というセルフツッコミは虚しく響き、みさっちゃんが歌う「悲しいね」に想いを託した。

かつて青春パンクにどっぷりと浸かった俺の闇はもっともっと根深く、そのBGMはまさしく黄金期のJ-POPだった。

まさに仏滅DISCO。まさかのセカンド・シーズンは皆さんと共にもっともっとヤバイ暗黒の青春時代を巡る旅。

DJシノダの巡礼にこれからまたしばらくお付き合いください。

第2回:はじまりはいつも雨/ASKA
(1991)

今聴いても何とも甘くて優しい雨女とのラブソングだ。

清潔感とガッつくことの決してないジェントルマンな感じが当時の女子たちに受けた。「俺も飛鳥涼みたいな芳香剤みたいな男になるんだ!」と真剣に思っていたイタイ男子は山ほどいた。

チャゲアスが大ブレイクする前夜、アルバムだと「PRIDE」ぐらいの時、当時高校生だった二コ上の姉がどっパマリしたのをきっかけに母親も聴き始め、家に帰るとチャゲアスが大音量で流れてるという今思うと軽い悪夢みたいな完全なる洗脳でファンに。そもそもおかんと姉ちゃんはジャッキー・チェン狂いだったから、飛鳥とジャッキーが似てるからだったのではないかという疑惑が今も消えることはない。

はじまりは洗脳だったけどコンサートに行ったら、中学生でクソ童貞の俺の魂はいとも簡単にグシャッと掴まれてライブ中にビンビン泣いていた。ライブで泣くの?という人もいるだろうけどチャゲアスのコンサートで感動しない人はいない。いたらクズだ。無意味に壮大なスケールのセットと、ずっとおどけてるチャゲに飛鳥も意外とひょうきんなMCをかますんだと最初は驚くのだが、クライマックスは泣けるMCの連打、そこに畳み掛けるように美しい名曲が流れるのだから、そりゃあんた泣くでしょ?周りの客が何人もウォンウォン泣いてるのだ。でもそれは当たり前の光景であった。ある意味では「今日は好きなだけ泣いていいんですよ〜」というソフト宗教な趣き。語弊があったらすいません。

ASKAのソロになると初期はほとんどのピントがラブソングに絞られていててめーなんの経験もねーだろバカヤロこのヤロおめーなくせに「飛鳥わかるよ」なんて思いながらニヤついて聴いてるクソがそこら中にいた。
俺もその一人だけど。

そして当然好きな女子に想いを重ねるのだが、その子は学級委員長と付き合っているという漫画的展開。さらに俺がASKAが好きらしいと誰かに聞いて「CD貸して欲しいんだけど」と頼まれ、アルバム「SCENE」を貸す。そしたら数日後泣きはらした目で俺にCDを差し出して「ラストの曲で号泣しちゃった」と。ラストの曲は「止まった時計」という別れの歌だった。彼女が今も教室の外をぼんやり眺めている姿を思い出す。思い出してこう思う。

「中学生のくせにあんな曲で号泣とかしてんじゃねーぞ!勉強しろ!このませガキがッ!!」

現在、ASKAはご存知の通りソロとなり、オーケストラなんかをバックにしてチャゲアスの曲を歌っている。

でもやっぱり隣りにチャゲのあの調子のいいキャラがいて欲しい。

チャゲアスが復活したら必ずコンサートに行こう。そしてあの時よりもはるかに薄汚れた涙をいつかみたいにビンビン流すのだ。


第3回:19GROWING UPode to my buddy/PRINCESS PRINCESS(1988)

プリプリが復活した。俺の青春の一つだった彼女たちの復活は震災復興のための一年限定だと言う。当然まとわりつく「老けた」という感想より先に「Diamonds」を演っている彼女たちは全くあの時のまんまで胸が熱〜くなった。いや、老けたのは当然なのだけど、あのプリプリが今まさにここにいる!という不思議。人生いろいろあったはずなのに5人ともあの時の表情のまんまでステージに立っている。一人ぐらい「これ誰?」ぐらい変わっていたりするものだけど、プリプリはいい歳の取り方をしていて小じわとかそんなくだらないものさえ気にならないぐらいそのまんまなのだ。これは当時熱心にCDを聴いてライブに行っていた人になら伝わると思う。

岸谷香a.k.a.奥居香は俺の憧れの人だった。中学生当時、カンペンにシール、下敷きにバックステージパスやパチパチから切り取った彼女の写真を挟んでいた。普通ならからかわれるから女子みたいなことはしない!となるところを「これは「OH YEAH」ってシングルを買ったらついてくるシールでね」などと見せびらかして回っていた思い出がある。「良かったね」しか返しようがないみんなの絶妙な苦笑いは今も瞼の裏に焼きついたままだ。「恥じらいを親のお腹に置いてきた人」と誰かに言われたことがある。好きな子が出来ても「可愛いよね〜」などと小学生ぐらいから本人に言っていたから、全くその通りなのだろう。恥じらいがないというより、デリカシーという概念がなかった。

プリプリは元々赤坂小町というショッパイアイドルグループだった。それが自分たちで作った曲やってみようよとなってあーなったというから、いわゆる苦労人であり天才の集まりだったわけだ。

遠慮がちなイメージのファーストを経て化けたセカンドアルバム「HERE WE ARE」の名盤っぷり。これを聴いたら即仲良しだったカオルくんと夜中の街を自転車で走っていたあの時代に首根っこを持たれて引きずり戻される。

カオルくんは兄貴がとんでもない伝説のヤンキーでその影響か彼自身にも影はあったけど、何か魅力的なヤツで男子にも女子にも好かれていた。俺とはその当時は一番仲良しで一緒にここには書けない悪いことを色々やった。しかし中学卒業で離れ離れになった後、全く遊ばなくなった。

午前授業で早く帰れた高校からの帰りの空いた電車。何だか煙たくて覗き込んだら電車内でタバコを吸うアナーキーなカオルくんがボンタン姿で立っていた。

デリカシーのない俺でもさすがに関わりたくないと感じて違う車両に移った。

あの時カオルくんが好きだったBOOWYと俺の好きだったプリプリの、擦り切れるまで聴いたカセットテープはもうどこにもない。

プリプリの復活東京ドーム公演にでも行ったら子供を抱いたカオルくん親子と会えたりしてと思ったらまた胸が熱~くなった。

そんな二人を重ねて聴くと、「19GROWING UP」は、いや、ほんと泣ける。あの日の冬の夜のあのカオルくんちのマンションの駐車場とかチャリンコを飛ばした誰もいない夜の土手とか。

あ。

でもこれ女同士の友情の歌だった


第4回:情けねえ/とんねるず(1991)

とんねるず世代というものがある。
おニャン子クラブが登場した「夕焼けニャンニャン」でハチャメチャなことをやっていたのを高校生ぐらいで体験してる世代がどストライクその世代だ。
俺はそれよりちょい下だから、とんねるずで熱狂する先輩たちに影響を受けつつも、思春期にダウンタウンという怪物と出会い、とんねるずはやってれば見るぐらいに変わっていった。

今でこそやんちゃなおじさんみたいな印象しかないが、当時の影響力は絶大でタカさん、ノリさんの一挙手一投足を若者たちは追いかけ回してマネしたもんだ。「ねるとん紅鯨団」も流行りに流行った。今考えたらあんな数時間で好きだの嫌いだの結局ルックスでしか判断つかないんじゃねーかと思ってしまうし、素人同士のカップルが出来るかどうかなんてものはこの世一どうでもいいことなんじゃないかとすら思う。でもあれが社会現象となったのはとんねるずが、秋元康が、POPなアプローチでテレビサイズの恋愛ごっこを成立させていたからだろう。やはりカルチャーとしてのとんねるずは未だ誰も成し遂げることが出来ない神に近い存在であると言っていい。

そういう風にテレビで暴れまわるくせに歌はシリアスというのが秋元康流で、「情けねえ」は爆発的にヒットしたとんねるずの歌の歴史上最もシリアスなメッセージソング。

俺は当時中学生でクラス一やんちゃなヤンキー洋平とこの歌にハマっていた。クソガキのくせに「とんねるずの今度の曲マジで熱いぜ!」とか思っていたのだろう。修学旅行のバスで目的地に向かう道中、バスガイドが不在でクラスで何やるか考えようということになった。担任によるとカラオケがあるということだった。今から20年も前だからカラオケもまだまだ新鮮で友達同士で行くなんてのもたまにしかなかった。なんせ一時間いくらじゃなくて、一曲100円の時代。100円入れてレーザーディスクがウィーンで歌うんだから、「あ。やっぱ違うかな」とか「間違えた!」はあり得ないのだ。そんな時代だからバンドやってるとか合唱部でも無い限り人前で歌うのは恥ずかしいとクラス全員が思っていたはずだった。それなのに洋平は「しゅうくん、情けねえ歌わねぇ?」と提案してきた。洋平はクラスの厄介者だったしヤンキーだから誰もNOとは言わない。しかし俺の意見だけは素直に聞き入れていた。だからNOと突っぱねることは出来たはずだ。しかし、俺の中の目立ちたいという気持ちとそれ以上にあの娘が見てくれるならという邪念が首を縦に振らせた。洋平が「俺としゅうくんでとんねるずの情けねえ歌うから!」とガサツに提案。今考えたらあと一ヶ月も先の旅行のバス内で歌う歌を決めるなんて会議が必要だったのかと思うのだが決まってしまったものは仕方がない。カセットテープのカラオケバージョンで練習する日々が始まった。洋平がタカさん、俺がノリさんだ。

それを学校行事だからという理由でクラス内で練習していて、聴くのもクラスメイトだけなのだから、ホントにどうかしていた。バス内で初披露しなきゃ意味がないということに気がつかない洋平と、それは感じていたけど、学校以外で洋平に会うのはちょっとなぁという俺の気持ちがクラスで練習するという謎の時間を生み出し、後半はクラスのほとんどがその練習を手拍子で聞いているという全くもってよくわからないことになっていた。

それでも心を折らずに頑張ったのは放課後の謎の時間にあの娘がいない、あの娘には初披露ということになるという希望であった。

当日。バスが動きだし、いよいよカラオケ披露の時間がやってきた。洋平はなぜか緊張していて「大丈夫。俺たちならやれるから」とかほざいている。何を基準にやったと考えるのかは定かではなかったが、笑ってうなづいていよいよ本番。

確かな練習の成果。担任もクラスメイトも手拍子と笑顔で二人のカラオケを迎えてくれた。今考えればこの曲の内容に手拍子と笑顔は違う気もするけどもそれはまぁいい。

俺は泣きそうだった。なぜならあの娘は歌い始めから今この瞬間まで完全に爆睡していたのだ。
それを感極まってると捉えた洋平からの満面の笑みと求められる握手。クラスメイトからの「やっとこれ聞かなくて済む」という安堵感を含めた熱い拍手。

今ならはっきりと歌える。
この一連の流れ

情けねえ!!


5回:トランジスタ・ラジオ/RCサクセション(1980)

よろけんというあだ名の友達がいた。

よろけんはスゲーデブだけど超面白いヤツでとにかく話のセンスがあったからクラスでは割と人気者だった。伊集院光に近い感じ。
だけど前回登場した洋平にはいつもいじられていたし(いじめられていたのではなくあくまでいじりであった。というのも俺とよろけんが親友だったからそこまで酷いことが出来なかったというのがあったに違いない)、瞳の奥底に隠し切れてないなかなかのゲスさがそこそこにバレていたため女子人気は低め。そう。トータル、そんなに人気者でもなかったかもしれない。何しろ俺が大好きだっただけだということを改めて感じる。悔しいけど大好きだった。

話のセンスは本当にずば抜けていて、俺が今面白いと多少なりとも誰かが言ってくれるのは、このよろけんとの出会いがあったのは間違いない。

よろけんには年の差のある兄貴がいた。その兄貴がとにかく音楽好きで家に遊びに行くといつもアンジーとか筋少とかを聴いていて、それこそ初めてブルーハーツを知ったのもよろけんちだった。

「これがロックっていうんだよ」
よろけんの憎たらしい笑顔の背後から流れて来たのは何とも不思議で気持ちE声。
〈授業をサボって陽の当たる場所にいたんだよ 寝転んでたのさ屋上で タバコの煙とても青くて〉
シビれた。タバコとか吸って不良なんだけど、なんか呑気で、でも俺たちのモヤモヤした日常を蹴飛ばすように歌ってくれていて、あぁなんて素敵な音楽!
それがRCサクセションだった。

俺とよろけんは学校が終わると暗くなるまで音楽を聴いてずっとくだらない話をした。ラジカセをチャリンコに乗せてそこでRCを流して「こんな先生いたら嫌だ」だの「こんな学級閉鎖はごめんだ」だのたけしメモとかオールナイトニッポンとかいろんなものからしこたま影響を受けたお題をお互いに出し合って、腹がよじれるぐらい笑った。

同じ塾にも通った。だけど夏期講習はめんどくさくって一日も行かずにファミレスかファストフード店かデパートか土手で過ごした。夏の終わりに当然塾から家に連絡がいって二人ともそりゃあもう一生分ぐらい怒られた。それでも少し経てば俺とよろけんはまたいつもの土手で「こんなRPGがあったらやりたい」だの「こんな学校は嫌だ」だのお題を互いに出し合って「どわはははは!」と爆笑した。呆れるぐらい懲りてなかった。

中学の卒業が近づいて進路を決めることになって迷わずに同じ高校を選んだ。

「高校でもよろしくな」と照れながら握手して別れた。

しかし高校に入ると周りのヤツらがあまりにも大人で何だかよろけんと話していた時間が急に全部恥ずかしくなった俺はよろけんを避けるようになった。クラスが違ってしまったのもあるけど、もう前みたいなことで腹から笑えないし、そんなことより女の子のことが気になる俺はよろけんの「一緒に帰ろうよ」も色んな理由をつけては断わるようになった。

いつしかよろけんから「帰ろう」と言われることもなくなった。

他の仲間たちが出来るとそいつらとカラオケに行ったり、男子校だから合コンに行ったり、俺はどんどん新しい友達に染まって行った。

よろけんはすれ違ったりしてもいつも一人で、でも俺から声をかけることもなく、日々は過ぎた。

高校を卒業して彼女も出来てバイトで忙しい日々を送っていた時、中学の友達から同窓会の誘いがあった。「しゅうくん、よろけんの連絡先知らない?同じ高校行ったんだよね?」と言われて俺は「いや、クラス違ったし、よくわからないなぁ」とトボけた。

結局よろけんはその同窓会に来なかった。

それから何年もの月日が流れた。

忌野清志郎が亡くなったりしてなんとなくよろけんを思い出していた夏のある日、あまりに偶然にRCを聴きながら地元の駅ビルを歩いていたら、前から何だか見覚えのあるヤツが歩いて来た。

よろけんだった。

イヤホンから「トランジスタ・ラジオ」が流れていて、俺は知らない内に目にいっぱい涙を貯めていた。

泣いてるなんて思われたくなくて「おー!よろけん!久しぶり!」と強めに言ったら「本当に久しぶり!しゃべるのもね」とよろけんが笑ってくれて俺は堪えきれなくてわんわん泣いてしまった。

でも俺は今もずっと後悔している。

いつか出した「こんな再会は嫌だ」っていうお題の最高の答えが
まさにそれだったんだから。

去年、突然スタートしたこの青春という名の呪縛とそこに流れていた音楽についてのコラムは少なくとも78人ぐらいには届いた気がしてるし、たくさんの人たちの人生の貴重な数分間を奪ったということからしてもやってよかったと思っている。
しかし。
セカンドシーズンになってからの第5回までを読み返してなかなかこいつはどうも「面白いとは言えない」ということに今さらながら気づいてしまったのである。エモいすね。とか、別に言われたくもないし、そういうコラムでもなかったのに、エモいすね。としか言いようがない、確かに。これは。

そもそもこんなコラムはゴキブリでも書ける。いや、文才のあるゴキブリならこれよりまだましなものが書ける。

何だか情けないことばかり、まぁ事実なのだから仕方ないのだが、結果的にビンビン泣いたなんて話ばっかりで「だからどうした?」としか言いようがない。

書いてる本人がそう思うのだから、読んでる人たちからしたら、ハンパなく「だから何?」なはずなのだ。涙もろいですね。そうですね。

ようするに久保さんやひんやりさんがスピンオフしてくれたモノの方が読み物として数倍面白いし、これを続けていく意味がよくわからないという結果に至ったわけだ。

だけど、せっかく与えてもらった場所だし、#シノダやめないでとあんなにたくさんの人にツイートしてもらったし、少なくともまだ2人ぐらいは楽しみと言ってくれているので、ここでまた新たな「青春仏滅DISCO」を書かせて頂きます。

というわけで、前フリが長くなってすみません。「じゃあ、サードシーズンじゃん!」という意見には耳を傾けず、続けます。
ここからは懐メロではなく今の音楽から見えてくる青春というものをほとんど思い込みで書いていくつもりでおります。

かと言ってハードル設定は低めでお読みください。

よろしくお願いします。

6回:生活/SAKEROCK(2005)

SAKEROCKってフニャフニャしててかわいいよね。源ちゃんは神だし、ハマケンは超ウケるし」

高円寺の喫茶店で文系ヲタの彼女がメガネを光らせてニタニタとそうつぶやく時、日本とはまだ平和だと感じる。

SAKEROCKはそういう子達の救世主であり、音楽的にも決して悪くないから、「SAKEROCKいいよね」ととりあえず言っていれば、この子センスあるとある程度は思ってもらえるというような存在のインストバンドだ。

オシャレ感もちゃんとありながら、昭和の残尿感とハマケンという怪物の放つバカバカしいグルーヴで、押しも押されもせぬ人気者となり、あんな感じなら俺もやれそうと数万人の若者に思わせ、やっぱり無理だったと絶望させた功罪含め、なかなかやりよるバンドだと認めざるを得ない。

SAKEROCKが青春という俺(36)より一回り下の世代がすごく多い。

「青春の音楽って何?」と聞くと、「銀杏とかSAKEROCKとかですかね〜」と答えるヤツがとてもいて、ついこないだじゃん!と思ったりもする。

その中の一人は高円寺で彼女と同棲していた時に「SAKEROCKを毎日聴かされていたんすよ」と何とも言えない顔でもらした。

円盤とかパル商店街とかルック商店街とか無善寺とか、高円寺の夕暮れの放つ郷愁にSAKEROCKのインストが流れれば、同棲していたあの娘がいつもの緑のジャージにサンダルで走って来そうな気がするんすよねえとハイボールとタバコを手に遠い目をして彼は答えた。

高円寺で同棲なんて青春そのものだ。

カップ麺を夜中にすすりながら、好きなレコードをかけあって、アパートの窓に腰かけながらギターをつまびく。ボブディラン似の神様は現れなくても、まだまだ四畳半の城には生きていく希望もコンドームも食べかけのベビースターも愛する彼女の寝顔もある。

そういう生活にSAKEROCKは彩りをくれる存在なんだろうし、スチャダラパーとか電気グルーヴとかが持ってた90年代のオモロ感もうまく散りばめられてて、なんというか最高に丁度いいんだろうと思う。

そんな彼らの三枚目のアルバム「Life Cycle」は結局のところ彼らの最高傑作と言えるわけだが、そこに漂う物悲しいまでのスーダラ感は20代男子が2000年代に到達した文系男子の最終形態と呼べるだろう。

特に一曲目「生活」のいきなりかまされるハマケンの小憎らしいスキャットを聴いていると、あぁバカバカしいって素ん晴らしいじゃんと嫉妬すら覚える。

つまり何が言いたかったと言えばSAKEROCKBGMにジャージで高円寺のコンビニをはしごしながら、ビデオ屋に通うような同棲をしたかったぜ馬鹿野郎と言うことだ。

今からでも遅くないという人は誰でもいいので電話してください。

そして緑のジャージで高円寺に集合。

牛丼ぐらいはおごりますんで。


7回:前野健太/東京の空(2007)

前回、高円寺で同棲したいという話を書いたのだがそんな二人が休みの日に二週に一回は訪れるのは井の頭公園だろう。

井の頭公園と言えば彼女とフリマやったり、スワンボートに乗ったり、友達とナンパして近くの焼き鳥屋いせやですんげー盛り上がってその夜は解散になったんだけど西荻窪の友達の家に異常なテンションで自転車をすっ飛ばして帰り、結局その中の女子にフラれた友達を深夜に井の頭池のほとりで慰めたりと思い出がいっぱいある。

青春のしみったれた思い出が静かに眠る特別な場所なのだ。

たまに、ごくたまに行くと、ぶわーっと当時のことがフラッシュバックして行く。

そんな時聴きたいのは前野健太の歌だ。

前野健太は1979年埼玉生まれのシンガーソングライター。
独特な風貌からは想像も出来ない優しいメロディを時には甘く時には切なく語りかけるように歌う。しかしただ優しいだけじゃなく、絶妙な性描写を織り交ぜたりしながら空虚な今の時代を切り取って嘆いたりもする。日本のボブディラン。フォークシンガー風情のパンクロッカーという感じだろうか。
ライブもすごく良くて今最も日本で見るべき歌い手の一人である。

そんな彼の代表曲のひとつが「東京の空」だ。

〈夕暮れ時はピンクのビルが建ち並び
愚かな香りがして 君を思い出す

こんなこと繰り返して
あんなこと繰り返して

君と別れた
2人旅に出る

東京の空は今日もただ青かった

東京の空は今日もただ青かった〉

井の頭公園の上に広がるのはただただ青い空。

原発とか、放射能とか、政権交代とか、いじめによる自殺とか、老人の孤独死とか、僕らのアタマの上にはモヤモヤと広がり続ける黒い雲。

雨が降ってるぐらいの方が丁度いいのにあまりにも青空が広がっていたりすると無性に切なくなる時がある。そんな空のことを歌っているんじゃないかと思う。
イースタンユースの「青すぎる空」みたいに。

それと、以前から勝手に前野健太の歌は朝のラブホテルに似合うと思っている。

色んなことを終え眠りから覚めると倦怠感だけが漂う窓のない部屋。夜はエロさしかなかったのに朝方のラブホテルほど白々しいものはない。まだベッドで眠る彼女を見ながら携帯いじりつつトランクス一枚でタバコをくゆらすあの何とも言えない時間。

そこに前野健太の歌が静かに流れてきたら、グッときちゃうなぁと思うのだが、なんとなくつける有線はEXILEか西野カナしか聴かせてくれない。

朝のラブホテルロビーでのライブをいつかやってもらいたいと思っているが、ほとんどの人にとっては迷惑なだけだろう。

とりあえず「朝のラブホテルに前野健太の歌は本当に似合うのか?」という検証をしなくてはなるまい。そのためだけに一緒に行ってくれる女性を募集します。はっきり言ってかったるいけど、ここにそう書いてしまった限り、検証は絶対だと言う。止むを得ない。18歳以上で後々めんどくさい事を言わない口の固い子でお願いします。

さて、話は多少ズレたけど、先日なんとなく井の頭公園に行ってみた。

休みだったからかすごい人の多さで家族連れやカップルがたくさんいた。

そんな中俺は一人でベンチに腰かけて、そこから東京の空を眺めた。

その日はいつもよりもあったかくって、青空だった。

友達と中野で飲むまでまだあと数時間ある。

もう一周したら熱いコーヒーでも飲んでスワンボートに一人で乗ろう。

そう思って立ち上がったら、全速力の自転車が数台目の前を通り過ぎた。

危ねえな。なんとなく自転車を見たら、あの日はしゃいで飛ばしていく俺と友達だった。


気がした。

8回:若き日々よ/SEBASTIAN X(2009)


SEBASTIAN Xはすごい。何がすごいって永原真夏の声がすごい。バンドとしてももちろんすこぶるいいのだが、彼女がステージで発声した瞬間、その場の空気がぐにょっと折れ曲がりみんなの意識がそこにすぱぱーんと向かってしまうというような、そんなパワーが溢れている。「生命力に満ちた歌声」なんて言葉をその辺のボーカリストに簡単に言わないでもらいたい。何しろ永原真夏の声こそそれそのものだから。この人歌う運命から逃げられないだろうな、こんな声と感性を持って生まれてきちゃったらと痛いほど感じる。例えば音楽の神様に「キミさ、歌って。一生」と指名されてしまったイメージ。(神様役・渡部篤郎)

そして楽曲もどれもこれもいいのだけど、「若き日々よ」は何というか、青春仏滅DISCOが何らかの磁場が狂ったりして映画化されたりしたら、エンディングテーマにしたいナンバーワンを堂々受賞のとんでもなく素ん晴らしい一曲。

彼女の心の井戸を覗き見ているかのような深く深く深い詩世界と物悲しさと儚さが入り混じったラスト2分の独特な高揚感。

このスケールをファーストアルバムで完全に表現しているというこのバンドのモンスターっぷり。

〈うしろめたいこと無いように見えますか?/いつでも明るく元気でいればいいですか?〉

こんな若さゆえの苦悩そのもののラインを真っ直ぐに、とても素直に書ける永原真夏の誠実さがこのバンドが底抜けに明るく楽しいLIVEをやるのに、感動して泣けるLIVEと誰もが口を揃える要因だろう。

歌のラストはこう締められる。

〈明日はどっちだ/昨日って何だ/とりあえず僕は寝る/いい夢をみるみるみる〉

若き日々の刹那。

諦めにも似たやるせなさに染まっていくようなこの歌の世界にどっぷりと浸る時、自分の若く馬鹿なあの時代が確かに、確実に、そこに見えてくる。

ここんとこ、やたらと書いている高円寺や井の頭公園界隈に出没する可愛くて小さい文系女子のCDラックにはほぼ間違いなくSEBASTIAN Xが一枚は入っているが(シノダ調べ)、彼女のウチに行っていつ性交に及ぶかということばかり考えていないで、ぜひ聴いて見て欲しい。


今回甘噛みイベントに永原真夏さんが出られると聞いたから、媚を売るために書いたコラムではない。いや、本当にSEBASTIAN Xが好きで前から書こうと決めていたと書いても、竹下編集長や甘噛みライター陣からはもうすでに白い目であるに違いないから、この際はっきりと書こう。

「永原真夏さん、とりあえず事実婚しませんか?」


第9:ブバップ/赤犬(2007)

赤犬が好きだった。

アキラさんがボーカルだった時代の、MCでは最低でお下劣な下ネタをぶっかますくせに、曲がどれもこれもスーパーカッコ良くてカウパー氏腺液がだだ漏れしちゃってパンツカッピカピになっちゃった、あの時代の、赤犬だ。(まー曲も下ネタなんだけどもね、半分は)
いや、でもホントあんなバンドいなかったし、未だに出てきやしない。

銀杏BOYZ目当てで行ったライブの対バンで出てきた「大阪のバンドらしいよ」という認識しかなかった赤犬のライブがあまりに良くて(その日はロビンとヒデオがホストの格好で登場。女を落とすテクニックを煙たがる銀杏ファンの前で長々と披露。ロビンは持っていた貝を使って潮の吹かせ方を実践。「ほら〜パンツ溶けちゃうよ〜」とか台詞付きで貝に迫る姿に女子ドン引き。男子は半勃ち。)、その日の物販ですでにCDとグッズを彼女とワーキャー言いながら買い漁って、その後も東京に来たら必ず見に行っていた。

大阪芸大時代の後輩だったという山下敦弘監督が必ず見に来ていて、いつかいつかと隙を見計らい「リアリズムの宿」のプログラムにサインをもらったというのは一部では有名なキモめなお話。

それはさておいて、関西バンド特有のグルーヴというのは確かにあって、関東出身の俺からしたらそれはどれもこれも強烈に映る。

先日、新宿の思い出横丁で同世代女子と飲んだ時、「関西のバンドやアーティストは面白い!」と俺が言うと「関西だから面白いってのはおかしい!関東のバンドだって面白い!」と返されたのだが、関西のバンドと関東のバンドは面白さの、何というか質が違う気がするのだ。

関西バンドは根っこに笑い飛ばせ!という明るさがあるように感じるのに対して、関東のバンドは根暗だから俺にはバンドしかねーんだよパワーがやたらと出ていて、それがそれぞれ「らしくって」面白いと思うのだ。(偏見)

赤犬はまさに「笑い飛ばせ!」を体で示すバンドだった。(実際「ブバップ」という曲で「吹き飛ばしてさよおなら!ブバッッ!」(おならとさようならをかけています。念のため)と歌い、ラストで「笑い飛ばせ〜!吹き飛ばせ〜!」と何度も歌われている)

今ある過酷な状況をナンセンスな下ネタと共にぶちかまして「笑い飛ばせ!」って一見無責任だけど「君に頑張れって僕が歌うから〜」とか汗臭い(おそらく息も臭い)笑顔で歌われるよりも、俺からしたら2億倍響く。そういうチンカスまみれで確実にイカ臭いけど、届けるべきことをしれーっと届けてくるくせに、「ウンコが好きです」だの、スクール水着とブルマ姿で「ズキズキドキュン!」だの歌うんだから、あーホントになんて素晴らしいバンドなんだと毎回毎回心底思っていた。

2009年、何が理由かは未だにわからないけど、メインボーカルのアキラさんが突然脱退してしまって、俺の中の赤犬は終わった。

あんなワクワクとドキドキとざまみろとSEXしてー!を同時に鳴らすバンドは他になかった。

俺がやってる秘太郎プロダクションズって結局何がやりたいってあの当時の赤犬がやりたいんだもの。あれを文章や映像でやりたい。

いつかアキラさんがフッと帰ってきてライブやられたら、涙ちょちょぎれちゃうよな、絶対!壇蜜がヤラしてくれるか、アキラ時代の赤犬復活ライブ見れるかだったらまぁ、それは即決で壇蜜だけども、ホントに見たい!!!

それまではガマン汁じゃない、ガマンするしかない。

赤犬の過去作はどれもこれもホントにいいから、そのくだらない○○○とか○○○とかのCD即売ってレコファンとかユニオンとかに走れや、おんどれ!(バンド名は自粛)
あーホント○○○しょうもなっ!(これはただの悪口)

というわけで関西バンドと俺の青春、前編赤犬は終わり。

後編neco眠るに続く。

つか本当は続かなくてもいいし、前編も後編もねーんだけど続くのっ!

10回:猫がニャ〜て、犬がワンッ!/neco眠る(2009)

陽気なグルーヴしか受け取らなくてもいいライブがあるとするならば、このバンドのそれはそこのど真ん中であると言っていい。

元々、幸せいっぱいな空気はそれがライブでも結婚式でも親戚の家でも逃げ出したくなるほど苦手なのだが、このバンドの持つひねくれた多幸感は一線を画するものがあって、いつまでもびたびたに浸っていたくなる。

何だかわからないけどずっと笑顔だったからライブ後顔が痛かったということを唯一体験したバンドでもある。

でも前述の通り、それは赤犬と同様相当にひねくれたものであって、「あの子に僕が好きって言ったらあの子も僕を好きだってイエー」だとか、ふーん。よかったねとしか言えないようなモノではなく、「隣りの婆さんが昨夜死んじまったけど空にはお日様踊るしかないぜあの婆さんのためにイエー」というそこはかとないやるせなさが見え隠れするから、いいんだろう、とっても。

とはいえneco眠るはインストバンドだから、このメッセージ受信の解釈はかなり勝手なモノなのだけど、今回あげたこの曲は歌モノ。

大阪発の女性ソロアーティストDODDODO(どっどど)のオリジナル曲を歌姫二階堂和美が歌った本当に凄まじく眩暈がするほど大名曲。

これをアンセムとして生きている人も少なくないだろう。(少なくとも筆者はその一人)

何というのか、青春で仏滅でDISCOなのだ、ホントに。


このコラムを始めてから毎日のように青春とは何かを考えるようになった。

辞書によれば青春とは「若さがみなぎっていた時代のこと」のようだが、30過ぎてバンドやったり、金にもならない文章書いたりしてる奴らの現在を青春と呼ばないなんてあんまりだ。

「俺は今まだ青春なんだよオ!!」と、どう見ても70オーバーの爺さんが中野の路上で叫んでいたのを見て、234の俺はドン引きだったわけだけど、今は爺さんよ、それもわかる。

言ったもん勝ちなんだ、青春なんて。

そして振り返ることの多い臆病者ほど青春て言葉で過去の自分をいいこいいこしてやって、現在の俺までも青春と呼んだりして全速力で現実から逃げるのだ。

俺もそうだ。

すぐに「でも君もそうだろ?」と主役をすり替える。そうすることで逃げ延びて生き延びてきた。

そんな風に青春のやり逃げをくり返して、それをアイデンティティと思い込ませて、単なるサブカル寄りのクソ野郎のくせして今日もこうしていい気になって青春とは?なんてことを書いてやがる。

関西バンドが持つ笑い飛ばせというあっけらかんとしたメッセージはそんなしょうもない俺にだけじゃなく、今をここ日本で生きる人達にも絶対に必要だと感じる。

日本が色んなダメージを受けて逃げも隠れもできない悲しみでぽっかりと穴が空いた今、笑い飛ばせはあまりにも不謹慎だと思うかもしれない。

しかし泣きながら笑うことだってできる。いや、もうそれでしか前には進めない。

DODDODOが自分の声で吠えることの大切さをあまりにもまっすぐに歌ったこの歌が日本中に響き渡ることを今は祈って、僕らは今夜もひたすら泣きながら笑って踊りあかすのだ、日の出を見るまで!

〈猫みたいな顔をした犬が吠える

愛の歌は歌わない 

歌わなくても届くから

猫がニャ~て鳴くように
犬がワンッて吠えるように
わたしはわたしの鳴き声を持って
会いに行こう

それはいつ それは今日
今日のいつ それは今

ストレートな言葉が好き
ストレートな思いが好き

大地に根がはり木になって
実が落ちるその姿が好き

海がざぶ~んて鳴くように
雷がゴロゴロ吠えるように

あなたはあなたの鳴き声を持って
会いにゆけば

それは誰 それは君
君は誰 君は僕〉

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