2018年2月6日火曜日

青春仏滅DISCO 再掲 (上)

これは2012年から2013年頃に竹下ジャパン編集長による「甘噛みマガジン」というインディー雑誌のWEB版「甘噛みWEB」に連載していた「青春仏滅DISCO」というコラムです。毎回一曲一コラムというお題で、主に自分の青春に纏わるエピソードを書き、セカンドシーズン含め全25回やりました。残念ながら「甘噛みWEB」自体が消滅(竹下さん、復帰をお待ちしています)してしまい、長らく読むことが出来なかったので、この度このブログに全文を再掲します。編集長のチェックは殆ど入らなかったと記憶していますが、残っていた下書きを修正したものになりますので、当時と違う箇所が多少ありますことをご了承ください。


まずはファースト・シーズン全5回から。

第一回:MY SOULFUL HEART BEAT MAKES ME SING MY SOUL SONG/GOING STEADY(1999)

「ああのぅ、前から、す、好きだったんです。ぼ僕とつ、つ、付き合ってくださいっ
学生服の少年、目をつむって右手を差し出す。女子「ごめんなさい」と頬を赤らめてその場から逃走。後ろで見ていた友達数人があちゃーっという顔をしている。

これが俺の青春だ。

しかしこんなこと身に覚えがない。ないけど、あった気がしないでもない。

青春とは曖昧な記憶の中にある。どんどん余計な記憶は消えていって、どんどん美化されていって、「俺の青春てのはさぁ」などとのたまうのだ。主に酒の席で。

青春パンクと呼ばれる音楽があった。

今もあるんだろうけど、青春パンクと口にするともう懐かしい。

青春でパンクなんだから、そりゃあ悪いワケがない。青臭くてもダサくてもいいんだ、僕らはがむしゃらに走った~ルララ~なんてことを歌ってくれんだから最高だ。

かつての若者たちはそこを逃げ場所にしていた。

ひたすらにダメな自分の肯定。

GOING STEADYは青春パンクの代表と呼ばれていた。

筆者は彼らと同世代だから、もうティーンでは無かったのだが、ゴイステが十代のど真ん中に登場していたら、完全にヒーローだったろうと思う。

一枚目『BOYS&GIRLS』収録の「MY SOULFUL〜」の衝撃。「もしも君が泣くならば僕は泣く もしも君が死ぬならば僕も死ぬ」と狂ったように叫ぶ峯田くんに当時の自分は震えながら恋するあの娘と自分を重ねて深夜に自転車で疾走したものだ。コンビニまでだけど。

そして10年以上たった今も青春パンクを聞きながら、自転車で疾走するのだ、ハローワークと炊き出し目指して。

大好きな彼女がいた。今思えばどこがあんなに好きだったのか思い出せない。だけど、当時の俺は狂ったように亀戸の彼女の家に通い、彼女とゲームして、彼女と歌って、彼女とご飯を食べて、彼女とテレビを見て、彼女と漫画を読んで、彼女と眠って、彼女と笑って、彼女と怒って、彼女と泣いた。

それが永遠なんてことはこれっぽっちもいや、当時の俺は信じていたんだな、そいつを。あの大嘘つきで薄情な永遠てヤツのことを。

だから最後は最悪だった。

彼女にストーカー呼ばわりされるまでになった。さよならすらまともに言えない最悪なエンドロール。もう死ぬしかないと思った。でも死ねなかった。

江戸川の土手で聴いたゴイステは優しくて、「もういいじゃねーか」と俺の背中を抱いてくれた。

「一番初めにオナニーしたおかずで、男は一生抜ける」

という名言がある。俺の言葉だ。

初めての彼女が忘れられないように青春パンクはいつだって、俺を慰めてくれる。

彼女にストーカーと呼ばれた時のあの絶望を、カツアゲされてぶん殴られてお金がないから半泣きで秋葉原から歩いて帰ったあの悔しさを、代わりに叫んでくれたのはいつだって青春パンクだった。

でも時間は残酷だ。

ドントトラストオーバーサーティーと歌ったかつての自分は、自分がオーバーサーティーになった瞬間からオーバーフォーティーに歌詞を変えた。

一緒に拳を上げていた友達が会社で出世して、JAZZしか聴かなくなった頃、俺はまだ一人きりで部屋で体育座りで青春パンクを聴いていた。

これは俺の青春パンクとの決別。レクイエムフォー青春パンク。

さぁ、ちゃんと大人になるんだ。

さらば青春パンク。



第二回:国道二号線/ガガガSP(2002)

目下失恋1000本ノック中101回のプロポーズなんて甘いぜ男は1000回フラれて初めて漢と書いておとこになるんだぜ

とかいうヤツはモテないだけなんだということに気がつくのにそんなに時間はかからなかった。

モテたいはすべての表現の始まりである。モテたいから部活をやるし、モテたいからバンドをやるし、モテたいからスケボーをやるし、モテたいからコラムだって始めるのだ。

しかし一般人がいくらあがいてもモテるなんてフワッとでしかない。顔に微風を感じるぐらいのこと。そしてフワッとモテた先にあるのは交際、やがて訪れる破局。それを繰り返すことを知っているのに懲りないでまたモテたいと思うんだから本当に馬鹿だ人間てのは。特に男は。

「今日は君と良く行ったラーメン屋にでも行って帰るとするよ」
というフレーズ。

ガガガSPの「国道二号線」の一節だ。

このワンフレーズに女々しくも愛らしい男の性が悲しいぐらい滲み出ている。

昔の彼女を思い出して、彼女の住んでいた国道二号線沿いに一人でやってきて懐かしみながら、自分の気持ちに決着(ケリ)をつける男。そしてさっきの歌詞が登場するのだが、ものすごいわかる!って共感するのはそもそも男だけだろう。

女は切り替えが早いとか良く言うが、切り替えが早いとはつまり男ほど浸らないということだ。
男はひたすら浸るのが好きな生き物というだけなのだ。

なんとなく一人で彼女の住んでた家とか、夜中まで話した公園とかを巡ったりしてあえて浸るのだ。あのブランコで喧嘩したら彼女が泣いちゃって俺は何も出来なくてただ黙っていたなぁとか、ここのとんこつラーメン量が多くて食べれないって言うから男らしく食べてあげたら、家帰った瞬間に吐いちゃって「私のせいだ~ごめ~ん」ってウルウルする彼女に「俺が勝手に食べたくて食べたんだよ!」なんて生優しいことを抜かしてたな俺とか、大喧嘩した夜に飯も食わないで一人でゲームしてて深夜腹減って台所に行ったら「バーカ」のメモの横に彼女の握ったおにぎりがあって泣きながら食ったなぁとか。

そんなこと彼女はたぶんとっくに忘れてるだろう。
こんなことをセンチに思い返してばっかりいるからみんなが先にどんどん追い越してってしまっているのに、それもわかってるのに、俺はただただ彼女に愛されていた時間を思う。

そう浸ってタバコでも吸ってみろ、それこそが一恋愛(一仕事)終えた男のあるべき姿だろう。

とか言いながら男の脳裏によぎるのは半分は行為中の彼女の顔だったりするのだが。

「あぁ君よ幸せになれ やっと僕は素直に思えた」というサビのフレーズの「やっと」という所からも、最初は次の彼氏候補になりそうなヤツがどうにか事故らないだろうか、「やっぱりキミじゃなきゃダメみたい」的内容のメールが朝起きて来てたりしないだろうかと期待を込めてケータイを見るが当然来てないフテ寝だとか、「もうあんな女どうだっていいんだよ!」「お前飲み過ぎだって!」とか、そんな日々を経てのことであって単純に幸せになれってお別れ直後に言うヤツよりも遥かに誠実でまっすぐな幸せになれなのだ。

そんなわけだからして、男はクソ女々しい生き物でいつまでだって別れた彼女を引きずって引きずって引きずって生きている。

だから女子よ!「ここゆかりと良く来たなぁ」とか思いながらお前の彼氏はそこで飯を食っているぞ
「何ボーッとしてるの?」「いや、別に」
この瞬間、男のカタルシスは頂点に達するのだ。

第三回:チンチンマンマン/オナニーマシーン(2002)

10代の終わりぐらいから20代の途中ぐらいまでアルバイトばかりしていた。

アルバイトとは当然アレ欲しいぜとか借金返すぜとかでやるものだが、金なんて実はいいんだぜ出会いたいんだぜという邪念がふんだんに盛り込まれていることを見過ごすことは出来まい。

これを俺は「アルバイト幻想」と呼んでいる。

少し仕事に小慣れてきたタイミングで、新人バイトが入ってくる。ゲロが出そうな可愛さ。
「じゃあお前、店ん中案内してやって」と店長に言われて、渋々を軽めに装いながら、「ここがトイレです。あ、ここは男子でした!女子は二階です!」とかちょっとやらかして、「うふふ」を得るのだ。いわゆる「ファーストうふふ」を勝ち取ったわけだ。

この後、同期の山田や小林がほざくであろうくだらないギャグにも彼女は優しいから「うふふ」と返すだろう。でもそのすべてのうふふは俺に向けられたうふふの後のこと。

少し勝ち誇りながらその日だけは過ごし、でも結局その娘が休憩室で「今度彼氏とよみうりランドへ」みたいなことを話してるのを聞いてしまって、アルバイト幻想がガタガタと崩れていく音を聞きながら、また俺は江戸川の土手へ急ぐのだ。

アルバイトとは人生のほんの一瞬だからいいのだ。フリーター20年選手なんてのは明らかに間違っている。しかし気持ちはよくわかる。アルバイトは責任がそれほどないポジションにも関わらず意外と重要なことをキャリアによっては任されたりする。これを自分への評価と捉えてイキイキとやりこなすが、社員がめんどくさい仕事をバイトにやらせているだけだったりすることのほうが多い。たまにバイト先のマドンナ・ユミちゃんと駅前でチラシ配ってきてなんてラッキーハプニングもある上にお金までもらえるんだから、「あの人40だよね?」「もう15年もいるみたいよ、バイトで」
なんてヒソヒソ話は言わせとけばいいのだ。

オナニーマシーンはアルバイト時代に同僚に教えてもらった。青春パンクなのかどうかはさておいて、今聴いても酷いし、最低で最高だ。

特にこの「チキチキバンバン」の替え歌でしかない「チンチンマンマン」の最低さ!あそこの駅のロータリーにいる女なら誰でもヤラせてくれるらしいとバイト仲間でチンチンマンマンシンガロングしながら車で向かったけど、平泉成みたいな渋いタクシーの運転手がタバコをくゆらしているだけで女子なんて一人も歩いてないじゃん!という最低なエピソードのトラウマ付きだ。

アルバイトが楽しくなってきた数ヶ月目のある日、「学校よ早く終われ!俺は早く働きたいんだ!」などと無気力なサラリーマンたちに聞かせたいような、異様なテンションになることがある。もちろん働きたいわけではない。あの娘と昨日のダウンタウンについて話したいだけだ。オナマシ聴きながら自転車をぶっ飛ばす。

でも、こんなに急いで行った日に限ってユミちゃんは風邪で病欠だったりする。しかしそこがまたユミちゃんらしいから許すと言ってニヤニヤと笑うのだ。ほとんどビョーキだ。

アルバイトは初めて金を稼ぐという喜びと、学校とは違う少しの窮屈と、あの娘と自転車を押しながらあのY字路まで歩く帰り道をくれる青春のメインステージ。

オナマシじゃなくてバンプオブチキンを聴いてるフリをして、さぁあの娘がシフトインしてるコンビニへ走れ走れ走れッ


第四回:童貞ソー・ヤング/GOING STEADY(2002)

またゴイステなんだが、やはり青春パンクを語る上でこの曲は避けて通れない。

甘噛みマガジンにも登場した漫画家古泉智浩先生による最高のジャケットと、「一発やるまで死ねるか!!」の帯のコピー、インディーズ発売にしてオリコンチャート3位という記録を持つ、童貞ソングの中で最も売れた曲であると言っていいだろう。

まぁ最も童貞ソングなんてものが他にどれだけあるのかはよく知らないけど。

童貞というものについて考えてみる。

みうらじゅん氏や、リリーフランキー氏らサブカルの神々達によって擦られ尽くしたテーマゆえに、今さら童貞についてなんて書くことも思い入れもさほどないのだが、やはり青春パンクや思春期をテーマとした時に、青い時代の自分を一番象徴するのがこの言葉であることは間違いない。

一方、女子におけるソレ(処女)は、男のソレとは質量・重み・成分があまりに違う、別次元の話であることを先に言っておかねばなるまい。

わかりやすく言えば童貞はダセーけど、処女はありがてーのだ。

なぜ童貞はダセーのかと言えば、やはりSEXという行為が基本的には男主導のモノであるのにヤリにいかない、例えるなら狩りの道具があるのに狩りに行かない狩人だからだろう。

しかし、童貞くん達よ。君らはダセーが、SEXに対する計り知れないドリームを抱いた、いわば妖精なのだから悲観的になることはない。

妖精は一発ヤッた瞬間に脱皮してSEXに対するドリームを捨てることになる。

SEXなんてヤッてみたら全然大したことじゃないという事実に直面して、「あー何で俺は毎日ヤリたいヤリたいとそればかり考えていたのだろう」と房総の海あたりを一人センチに眺めるハメになる。

もちろん、SEXは素晴らしいものだ。オナニーよりもいいところもあるし、興奮する瞬間もある。

長く童貞をこじらせるほど、SEXに対する思いが大きくなりすぎてしまってるがゆえに、そのギャップに酷く落ち込むのだ。

「一発やるまで死ねるか!!」と思うぐらいの思い込みは時に彼らをモンスター化させる。中学校内にいる顔見知りのほぼ全女子(現国の50代の嶋田先生も含む)をターゲットに手当たり次第に抜く。友達のお母さんやお姉ちゃんなんて当たり前、近所のおばさんでも絶対領域を見つけて記憶する。それがすなわち童貞モンスターだ。

性欲が強過ぎて「性獣」と呼ばれた友達の小林は「頑張ればくびれたワイングラスでも抜けた」と当時を振り返る。

悶々とし過ぎて土手をやたらとチャリンコで疾走したり、授業中叫んだりする奇行もこの時期の男子に少なくない。当然、そんなことで解消される訳もなく、視聴覚室で担任にしぼられる。しかし担任が女教師だとこのシチュエーションは「何かあるパターンじゃないか!」と考え始める。童貞モンスターを舐めちゃいけない。
「シノダくん聞いてるの?」「あ、はい」「そのパワーを勉強に向けてくれるといいんだけどね」そんなこと出来るはずもない。だからヤらせてください!と心の中で絶叫。

結局AVみたいなことは起こらず、シチュエーションだけ持ち帰り、オナニーなわけだ今日も。

加藤鷹だって、火野正平だってかつてはただの童貞だった。

当たり前に前戯をこなして、当たり前に射精することを覚えた大人どもよりも、童貞モンスターで悶々とチャリンコで走っているほうがいいに決まってる。



決まってるのだが、もう、絶対、戻りたくは、ないッッ!!!!



最終回:N.O./電気グルーヴ(1994)

最終回にしてネタが切れたわけではない。

青春パンクというカテゴリーには当然入らないだろうが、電気グルーヴのこの曲は俺にとってまさに青春でパンクであった。

ここにいるひねくれた自分とダウンタウンが半分は自分の人格を形成してしまった。

人をなんとなく上から見ながらも、しかし何者でもなく、何者にもなれない自分との葛藤はこの時からすでに始まっていた。

「アクティブなバカなヤングに舌打ち」なんて当たり前。そのイライラをあからさまに吐き出す。だけど不良にはなれない。なれないけど不良の友達はたくさんいて、そういう連中といると心地良かったし、なぜかやたらと好かれた。

でもだからこそ浮かび上がるのはあまりにも中途半端な自分。中途半端だから、ナイフを振り回したりもしないし、ましてや自分に向けることもできない。バイクだって盗めないし、窓ガラスも壊せない。

吐きたくなるぐらい嫌な自分が鏡の中にいるのに鏡すら叩き割れなかった。

「今じゃ言えない秘密じゃないけどできることなら言いたくないよ。今話しても仕方がないし、でも言いたくて仕方がないし」
N.O.」の冒頭で卓球はそう歌い出す。

俺のこのコラムもそうだし、文章を書くという行為の導入はだいたいこんな感じだ。振り返るようなことでもないようなこと。例えば、友達が授業中にウンコ漏らして、みんなでゲラゲラ笑いながら窓からそのパンツを投げ捨てて、そこへ近所の野良犬が走ってやって来てキャッチなんてことで、さらにゲラゲラ笑ったとかそんなこと。振り返ることもないことを振り返って、立ち止まって、結局、全然前に進んでないなんてことを、延々とやっている。

それがいいとか悪いとかじゃないだろうけど、だからいつまでも俺は青春てモノを捨てられずにここにいるんだなと、人よりも強い青春の呪縛を恨んだりもする。

甘酸っぱい初恋だってあった。

悔しくて死にたくなるような朝だってあった。

何だか歩きたくなるような気持ちいい夜だってあった。

心を抉るような悲しい出来事だってあった。

腹が痛くなるぐらい馬鹿笑いしたこともあった。

そして、別れた彼女たちへ。

今、君は笑っていますか?

誰かに抱きしめられて幸せを感じていますか?

俺と過ごしたあの時間は君にとっては忘れたい思い出ですか?

それとももう憶えてないですか?

「いつかここに私と修ちゃんと赤ちゃんの三人でくるの。それが今の私の目標なの」って言ってたけど、もうその目標は完全に捨てましたか?

俺はまだ憶えてます。

何か辛いことがあった時、そう言って笑った君の顔を今でも思い出してます。

気持ち悪いですか?

そんなことまだ憶えてるの?と笑いますか?

最後の夜「幸せになってね」と言った後、泣きじゃくる君を俺は抱きしめたけど、別れたくないってちゃんとあの時言えてたら、俺たちはまだ一緒にいましたか?

ありがとうって笑顔で握手してくれた君。

泣きながらお辞儀をしてくれた君。

電車のホームでいつまでも手を降ってくれた君。


忘れません。

忘れることなんてできません。

だってそれが俺の青春そのものだから。



自分が歩いて来た道を、俺はそうやって妙に懐かしんだりしてみる。主に酒の席で。

ちゃんとした大人になんてどうせもうなれない。

青春パンクにさよならを言うために始めたコラムだったけど、青春パンクはとっくに俺の一部だった。

どうやら付き合ってくしかないみたいだ、死ぬまで。

いつか病院の中庭で車椅子を押されて、若いナースに失恋やバイトのことや童貞だった頃を、遠い目をしながら話すその日まで。




青春パンクはクソみたいなダサくて愛おしい自分を、


その時もきっと、


たぶんきっと、


絶対にきっと、


ずっと歌ってる!!!!!

このコラムを俺を一瞬でも愛してくれたあの娘たちに。竹下さんや読んでリアクションしてくださった方たちに。俺をずっと見守ってくれてる愛すべき友達に。そして、これからもず〜っとおそらく変わらずみっともなくてクソッタレな自分に。

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